こんにちは、まるぞーです。
昨日も結局外には出かけず、今日も天気が良くなったら出かけようと思っていましたが、今晴れてきたものの、やはりどうも外出しようという気にならず、家にいます。
いけませんねえ。引きこもり癖が身についてしまい、ますます出不精になっています。
さて先日の記事「ゆうひが丘の総理大臣」で、私はこう書いています。
何せ当時私は友達が一人もおらず、学校に行っても、授業中に当てられでもしなければ、1日中誰とも一言もしゃべらないという、とんでもない生徒だったので、女子と会話をするなんて、年に数回あるくらい、しかもプライベートな会話は0に等しく、「うん」とか、「ありがとう」とかほんの一言で、すべて必要に迫られた業務的な会話だけでした。
このように書いてみて、改めてこのころの私は、ほんとにおかしな少年だったんだと思い知らされました。
当時は自分では、さほど自分が変わっているとは思っておらず、ただ内気で友達がいない子だと思ってはいましたが、自分は普通だと思っていて、さほど悩んだりはしていませんでした。
それで、改めて中学高校時代の私を振り返ってみました。
私は中学1年の初めのころは、まだクラスに友達がいました。
ただ友達と言っても、それほど仲がいいという訳ではなく、例えば学校外で一緒に遊んだことはおそらくなく、学校にいる時だけしゃべったり、一緒に行動するグループに入っていました。
ところが、そのグループ内でも、ちょっとからかわれたりすることもあり、だんだんグループにいるのも居心地が悪くなってきました。
1年の終わりごろにはだんだん疎遠になり、その後2年になった時のクラス替えで、親しい人とは全く離れ離れになり、新たな友達を作ろうと思ったのですが、それがどうにもうまくいかず、2年からずっとそのまま、友達が一人もいない状態になってしまいました。
2年生の時は、友達がいないということがすごく嫌で、学校に行くのが辛くなりました。
それでも不登校になったりすることはなく、学校を休むことはめったになく、親や先生から見たら、まじめでよい生徒でした。
3年になってもやはり友達はできず、ずっと一人でいました。それこそ1日中、誰とも話さないことも多く、みんなから気持ち悪がられ、「何を考えているかわからない」とか、「しゃべれよ」とか言われ、軽~くいじめられたりもしました。
修学旅行の部屋割りとか、すごく嫌で、好きな子同士グループができた後で、人数調整で、人数が足りないところにしぶしぶ入れられるという屈辱を味わいました。
今から思うと、よくそんな環境で不登校にもならずに、毎日学校に行き、修学旅行もよく行けたものだと思います。
もちろん旅行先でも部屋でも、誰とも親しく話すこともなく、ずっと一人でいましたから、全く楽しかったなどということはありません。
そして高校へ入りました。
勉強だけはまじめにやっていたので、高校はそこそこの進学校へ入りましたが、今度は頭のいい子の集まりに入ったので、いくら勉強しても難しくてついていけず、テストも赤点ばかりで、クラスのビリケツの成績でした。
そこで私は自分が頭が悪いんだと、初めて思い知りました。
特に記憶力が悪く、これは今ではものすごく悪化して、ほとんど記憶喪失と言えるレベルですが、もともと悪かったようで、1ついまだに忘れず覚えている記憶があります。
日本史のテストで確か30点ぐらいだったと思いますが、赤点を取った生徒に答案を返すときに、先生が「何時間勉強した?」と聞いてきたので、私は正直に12時間くらいですと答えたら、「嘘をつけ!」と言われ、げんこつで頭をたたかれました。
それが悔しいやら情けないやら、グッとこらえましたが、涙があふれそうななりました。
他の生徒が、何時間勉強したかと聞かれて、2時間ですとか、30分ですと答えているのを聞いて、どうして自分はこんなに勉強したのに赤点なんだろうと、自分が嫌でたまりませんでした。
その記憶はとても強く、今でもはっきりと覚えています。
とにかく高校3年間も友達と呼べる人は1人もおらず、そしてもうそれが当たり前になって、友達を作ろうと努力することも一切なくなり、自分でもそれが特別おかしなことではないと思っていました。
でも今にして思うと、周りからは相当おかしな子に映っていただろうと思います。
高校は幸い、いじめる子はいなかったので、いじめられることはなく、中学に比べたら、それほど苦痛ではありませんでした。
もう一人で過ごすことに慣れてしまっていたんでしょう。
そんな中学高校時代ですから、やはり私は、根本的な性格に問題があったのだろうと思います。
友達付き合いがないので、人間関係を学ぶことなく大人になりましたから、社会に出ても人間関係がうまくいかないのは、当たり前と言えば当たり前です。
普通の人が経験から学んだことを何一つ学んでいないのですから、当然自己中心的です。
人の気持ちを考えたり、相手とうまくやっていくということができません。
それからすると、社会に出てから50歳まで25年以上も、よく社会人が務まったものだと思います。
ただ、私の性格は何も変わっていなかったということです。
職場の人間関係でうつ病を発症して、会社を辞めて、改めて自分には親しい友人がいないのだということがわかりました。
仕事上の付き合いで関係があった人も、仕事を辞めてからは、私の方から遠ざけてしまい、結局関係を断ってしまいました。
そして再就職するもすぐに辞めて、今度はコロナが怖くて、セミリタイア後に始めたテニスとボランティアもやめてしまい、新たにできた人間関係も自ら断ってしまいました。
気がついたら、人との接触を避けるあまり、全く誰とも付き合いのない、完全な孤独になってしまいました。
自分でそうしたのですから仕方がありませんが、また中学高校時代の私に逆戻りしてしまったようです。
少なくとも会社員だったときは、人並みに人付き合いもあり、仕事上の人間関係はありました。
自分では普通の社会人だと思っていましたが、やはり中身は違っていたようでした。
今の自分と10代の自分を比べてみると、何も変わっていないと思います。
やはり一度できてしまった性格というものは、そう簡単には変わらないものです。
私は本当に人と付き合うということが、苦手でうまくできません。
ですから、孤独は好きではないのですが、受け入れざるを得ないということです。
無理やり人間関係を作ると、そこでまたストレスが生じ、辛くて苦労することになります。
それでも全くの孤独もつらいです。
今はまだ親がいるからいいものの、将来を考えると不安です。
またコロナが完全に終息したら、仕事やボランティア、テニスサークルなどもはじめてみようと思っていますが、果たしてどうなるかわかりません。
とにかく今は一人で生きていくしかありません。
さすがに今から努力しても、社交的な性格にはなれないだろうと思います。
人間関係は私にとって、何よりも難しい課題です。
それではまた。