こんにちは、まるぞーです。
今日も本当はブログを書く気分ではありませんが、頑張って書きます。
あれからこの2日間は、なんとか夜眠れていますのでご安心ください。
ただし目は覚めて、トイレには行きますが、1回だけです。
でも前立腺の症状は相変わらずです。
夜目が覚めた時には下腹部の鈍痛、嫌な刺激感は昼間もずっとあります。
ただ私は癌よりはましだと思い、なんとか自分を励まして、頑張ろうと思い、生きています。
今日は私の元職場の先輩で、肺腺癌で亡くなった人のことを書いてみます。
最近いつからかは知りませんが、癌になると普通に本人に告知されます。
余命宣告までされてしまいます。
昔はそうではありませんでした。
私が子供のころは、癌になると普通家族が医者に呼ばれて、家族にだけ癌だと教えられ、本人には、家族も医師もひた隠しに隠したものでした。
私は今でもそうして欲しいと思います。
もし私が癌になったら、絶対に癌だと言わないで欲しいのです。
もし早期がんで100%治るというならまだしも、それでも良性の病気だと言って手術してほしいですし、ましてや余命宣告などされた日には、私は一体どんな精神状態になってしまうのやら、考えただけでも恐ろしいです。
余命宣告されて、そのあと私はどうやって生きていけるというのでしょうか。
今日はその会社の元先輩の話です。
その先輩は、健康診断が終わって2か月後くらいの5月の連休前に、変な咳が出るのと胸に違和感があると言って、精密検査を受けに病院に行き、検査入院の間、少し仕事を休むと言っていました。
本人はどうせ何でもないだろうが、念のために検査してくると言っていました。
タバコは吸っている人でしたが、健康診断の胸のレントゲンでは異常なしだったそうです。
それが休み明け、会社に来た時に、私の上司と私がいる前で、耳を疑うことを話し始めました。
「実は肺腺癌が見つかった。手術はもうできない段階で、余命半年だそうだ。半年あれば自分の身辺整理はできるから、まあよかったかな。」なんて言うのです。
ちょっと作り笑いを見せて、「まさか自分でも癌とは思っていなかったし、余命半年とはいまだに信じられない」と。
「健康診断では何ともなかったのに、肺のレントゲンでは何もわからないそうだね。みんなも健康には気をつけて、検査は受けておいた方がいいよ。」なんて言って、至って気丈にふるまっていました。
本人の気持ちを考えると、いたたまれず、聞いている私の方が、怖くなって身体がガタガタと震えて来るのを覚えました。
私だったらそんなふうには人に話せませんし、自分の感情を押し殺して人にそうやって告白する姿が、もうどうにもいたたまれなくて、涙があふれてきました。
その先輩は仕事は続けたいと言ったそうですが、上司から退職を迫られ、「ゆっくり療養するのが君にとって一番いいことだから」と言われたそうですが、それは本人が決めることであって、会社が決めることではありません。
結果本人は最後まで働きたい意思を表明したそうですが、説得されて自己都合退職となりました。
さすがは私を復職させずに、休職期間満了により首にした会社です。
辞めさせ方がブラックそのものです。
本当は訴えたら勝てるというか、辞める必要はなかったと思うんですけどね。
その先輩はその後、息子さんが介護してくれ(奥さんは少し前に亡くしていましたので)、別荘地で療養したり、仕事も本人の希望で、パートで働かせてもらっていたので、調子のいい時は会社にも来て仕事を続けていました。
そしてそれから1年後、結果余命宣告より半年長く生きて、その先輩は亡くなりました。
亡くなる1か月くらい前に、また私の上司に会いに来た時は、私の上司が、「痩せてひげを生やしてカッコ良くなったなあ。まるで映画俳優のようだ。」などと茶化して言っていましたが、私から見たら、よくそんなことが言えるなあと思いました。
そのやせ方は、どう見たって癌による不自然なまでのやせ方で、顔にもシミがいっぱい出来て、見ているだけでも辛い姿でした。
それを格好良くなって羨ましいなんて、お世辞でもなんでもない、デリカシーのない言葉だと、その時の私は思いました。
ただその時はまだ元気で仕事にも来ていましたし、医者の言った余命の半年の倍近くたっていたので、もしかしたらこのまま死なずにずっと生きられるのかもと私は思ったのでしたが、それから風の噂にまたちょっと体調を崩したので今は仕事を休んでいると聞いてから、わずか数日後、1,2週間後だったでしょうか。
次に耳に入ってきたのは、突然の訃報でした。
葬儀にも行きました。
ご長男さんが喪主を務められ、「父は良い環境で仕事ができて幸せな人生でした」と挨拶されていましたが、本当にそうだったでしょうか。
家庭のことは全く分かりませんので何とも言えませんが、会社ではあまり出世できず、最後は窓際族と言った感じの人でした。
すごく温厚な優しい性格で、そのため出世も出来ず、ただ私のような弱い人間に対しても、本当に親切で優しくしてくれました。
だから私は大好きな先輩でした。
でも私の上司は、あいつは人が良すぎて、自分の事より人のためにばかり頑張って、もっと自分のために仕事をしなかったからダメだったんだというようなことを言っていました。
私はなんてことを言うんだろうこの人はと思いました。
最後は会社にも捨てられて、晩年奥さんを先に亡くしてから急に元気がなくなり、だんだん痩せていくので、心配していました。
仕事の上でも、ものすごく苦労した人で、相当ストレスのかかる辛い立場にあったことは、少し離れたところから見ていた私にもわかります。
私は本当に神様は不公平だと思いました。
こんないい人がどうして苦労ばかりさせられて、苦しんで人生を終えなければならないのでしょうか。
彼は幸せだったのでしょうか。それは彼自身が決めることですから、彼が幸せだったと言えばそうですし、違うと言えば違います。
でも先輩は強い人でした。癌になり余命宣告されたときの気持ちはどんなものだったでしょうか。
私だったら耐えられません。その場に立っていることさえできないと思います。
先輩はどうだったでしょうか。きっと感情をグッと抑えて、冷静に、「そうですか。わかりました。」と医師の話を聞いたのだと私は想像します。
絶対に取り乱すような人ではありませんから。
私が癌になったらどうなるでしょうか。
泣き叫んで、そして参ってしまって、それからどうなるでしょうか。
私は今病気で苦しんでいますが、幸い癌ではありません。
手術が必要になるかもしれませんし、手術をしても治らないかもしれませんが、命に別状はありません。
同じ前立腺の病気でも、前立腺癌よりはるかにましではないですか。
まだ余命を宣告されてもいません。私の人生はまだ終わりが示されているわけではありません。
癌で苦しんでいる人がたくさんいます。そして若くして命を落とした人もいます。
私はどうして自分はこんなに不幸なんだろうと思ってしまいますが、それは健康な人と比べてのことです。
確かに私の年代では、まだ健康な人の方が圧倒的に多いですが、癌の人もいますし、余命宣告される人もいます。
そんな人たちと比べたら、私ははるかに幸せではないでしょうか。
毎日ふさぎ込んでいても仕方がありません。
少しは亡き先輩を見習って、もうちょっと強くならないといけないと思います。
そして気丈にふるまって、力強く今を生きていかないと。せっかくの命がもったいないです。
それではまた。