50代、完全リタイアで投資生活

52歳、資産4000万円でセミリタイアした男の今、60代無職、独身男のリタイア生活。 旧ブログはこちらです。リンクから飛べます。https://maruzokun.hatenablog.com/

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オーディオが私のすべてでした

こんにちは、まるぞーです。

 

オーディオの音がどうしても諦めきれず、スピーカーケーブルを交換してみようと思い立ちました。

 

PADと言うメーカーの、Mizunoseiという高級ケーブルを、現在使わずに所有していたので、それをつけてみようと思いました。

 

いざ交換を始めようとしたのですが、私のスピーカー、ノーチラス802の端子が、Yラグが使えない構造になっていました。

 

MizunoseiはYラグが標準装備ですから、Yラグが使えないとなると交換は不可能です。

 

したがって交換して音を確認することもできず、即あきらめざるを得ませんでした。

 

Mizunoseiはもう使うことはないので、メルカリで売りに出そうと思います。

 

Yラグが使えないとなると、あとはバナナプラグ仕様のケーブルを新たに購入するしかありません。

 

モガミのケーブルあたりが候補になってきますが、もう諦めることにしました。

 

交換したところで、課題となっている中低域が出ていないという問題が、完全に解決するとは思いません。

 

スピーカーケーブルを交換しても、全体の音質は少しはクオリティーが上がるかもしれませんが、そもそも中低域が出ていないなどと言う、周波数帯域のバランスの問題は、スピーカーケーブルで解決するはずはないと思います。

 

結局は部屋の問題で、4畳半ではどう考えてもノーチラス802は鳴らしきれません。

 

一旦は諦めると決めたものの、どうしても未練がましく、果ては大きな部屋に引っ越そうだとか、はたまた家のリフォームまでも考えている始末です。

 

でももうオーディオは諦めます。

 

しかしどうしてオーディオの音がこれほどまでに私にとって重要なのでしょうか。

 

それは今の私にとっての生きがいは、オーディオがすべてと言ってもよく、普通の人が仕事や家族や友達との人間関係によって得られる、人生の喜びと言うか、生きている意味を、私は何一つ持っておらず、唯一オーディオとそれで聴く音楽に委ねているからです。

 

ですから人から見たら大げさと思われるかもしれませんが、オーディオと言う自己実現の道を閉ざされてしまった私には、もはや何も残っていません。

 

人生の意味はなくなり、もはや生きていることがただただ虚しいだけです。

 

ブログももうどうでもいいと言うか、ますます書く気が失せ、お金はあっても何も使いたいところがなく、おそらく今後の医療費と入居施設代くらいしか使い道が見つかりません。

 

それでも入院、手術もお金がかかりますし、老人ホームも高いところはすごく高いので、お金はいくらあってもいいのですが、なんだか空しいです。

 

でも仕方ありません。

 

それでもオーディオを辞めるわけにもいかず、今更新しい趣味を見つけるのも、今から恋人を見つけるのと同じくらい難しい事ですので、納得のいかない音質でも、それで音楽を聴き続けるしかありません。

 

唯一の抵抗策は、音の良いオーディオシステムの音を聴かないことです。

 

エグモントへは3回行きましたが、もう行くのはやめようと思います。

 

行ってよい音を聴いてしまうと、自宅の音が余計悪く感じられて、耐えがたい苦痛です。

 

オーディオの音質も所詮は相対的なもので、人と比べなければ、自分の音がいい音だと思って満足していられます。

 

実際エグモントへ行く前は、たまにオーディオフェスタなどで良い音を聴くと、少し我が家のシステムの音を疑ったりはしましたが、フェスタで聴いたシステムがウン千万円もする高価なものだと、値段が値段だから仕方がないと諦めもつきました。

 

しかしエグモントのシステムは我が家とほとんど変わらないばかりか、我が家の方が上だと思われるので、それで圧倒的に違いのある素晴らしい音を聴かされると、本当に打ちのめされたような敗北感を覚えます。

 

オーディオフェスタへはまた行くつもりですが、あまり自分の愛聴盤を聴き比べるなどの真剣な試聴はしないでおこうと思っています。

 

知らぬが仏で、エグモントの音を聴く前は、今と変わらぬ自宅の音を、結構いい音だと思って聴いていましたから。

 

またしばらくしたら、今の音も結構いいと思えるようになるのではないかと期待しています。

 

幸せか不幸かも同じだと思います。

 

すべては相対的なもので、人と比べて自分が劣っているとわかると不幸に感じてしまいます。

 

お金がいくらあるとか、仕事で出世したとか、奥さんと子供が何人いて、家族仲睦まじいとか、健康でいくつになっても元気だとか、すべて人と比べるからいけないのです。

 

どうせ比べるなら、自分より不幸だと思われる人とだけ比べれば、幸せに感じられます。

 

若くして癌で余命宣告された人、就職氷河期で良い仕事につけず、一生非正規雇用の人、生涯独身でお金もなく借金まみれの人、糖尿病で手足を切断したり、失明したり、ずっと透析治療を続けている人、そんな人たちとだけ比べればいいのです。

 

そうすれば私なんてすごく幸せで恵まれた人生だと思えます。

 

オーディオもお金がなくて安いシステムしか買えなくて、それで聴いている人、そもそも賃貸アパートだったら、音漏れがひどくて、スピーカーで音楽を聴くこともままならないと思います。

 

私も昔賃貸アパートに住んでいた時はそうでした。

 

おまけに部屋が狭ければ、置くとしてもミニコンポくらいしか置けません。

 

それと比べたら私のシステムなんて、とんでもなく贅沢なものです。

 

結局私も見た目オーディオに成り下がってしまいました。

 

音の違いが判らず、お金だけあって高級機材を部屋に入れて満足している音痴マニアもいるそうですが、そういう人はかえって幸せだと思います。

 

だっていい音だと思って聴いているのですから。裸の王様と同じです。

 

なまじ耳だけよくて違いが判ってしまうと(違いが判ると言うのは物理的な耳の良さではなく経験値です)、いくら見た目でゴージャスなシステムだと思っても、音を聴くたびに常にストレスを感じなければいけません。

 

やっぱり私は不幸です。

 

これからの課題は外部を変えるのではなく、私自身を変えることだと思います。外部を変えることは困難でも、自分自身を変えることは努力によって可能です。

 

私自身が今の自宅の音をよい音と感じ、自分の人生を幸せだと感じられるかどうかは、私が自分をだれと比べるか、そして自分にどう錯覚させられるかにかかっています。

 

それではまた。