50代、完全リタイアで投資生活

50代無職、独身男のリタイア生活。 資産4000万円で投資はインデックス運用です。旧ブログはこちらです。リンクから飛べます。https://maruzokun.hatenablog.com/

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新NISAは「絶対にやってはダメ!特に中高年以降の人は危険」?

こんにちは、まるぞーです。

 

今日は森永卓郎さんについて書きます。

 

皆さんご承知のことだと思いますが、膵臓癌を患っていて、余命宣告されていますが、現在体調は落ち着いているそうで、ラジオやテレビ出演も再開して、本も出版し、精力的に働いています。

 

もし私が森永さんの立場だったら、もう何もかもがどうでもよく、何もやる気がしないで、毎日ただ布団で寝て、もう早く楽に死にたいなどと言っていたと思います。

 

まあ実際になってみないとわかりませんが。

 

ただもちろん私は、森永さんのように最後まで気力を振り絞って仕事にまい進されるというのも否定はしませんし、逆にすごいなあと感心してしまいます。

 

ただ私は今の森永さんは、この間テレビでちらっと見ましたが、痛しくてちょっと見るに堪えず、チャンネルを変えてしまったほどで、YouTube動画も見られません。

 

でも仕事をしたいというのは森永さんがそう思うのだから、思う存分やったらいいと思いますし、それを止める必要もまったくないわけで、ただそれでも少しでも回復して長く生きてほしいと願うのみですが、森永さんの主張されていることには、これは病気になる前からですが、私ははてなと疑問を抱いてしまいます。

 

それは森永さんが、ずっと前から株価の暴落を予言していて、今は株に投資してはダメだと言っていることです。

 

がん闘病中の森永卓郎氏、魂のメッセージ 新NISAは「絶対にやってはダメ!特に中高年以降の人は危険」

 

 「今はオルカン(全世界株)かS&P500に投資するのが大部分なんです。このアメリカの株価っていうのは、人類史上最大のバブルになっていて。これがもうすぐはじけると思います」とし「ドットコムバブルで、アマゾンとかアップルとかマイクロソフトだとか、本来の実力を超えて異常な高値を付けている」と指摘した。

 

これは森永さんが病気になる前からずっと言っていることで、それでも市場はずっと暴落することなく、株価はどんどん上がってここまで来ているわけですが、相変わらず森永さんは、そのうち暴落が来るという主張を変えていません。

 

MCの加藤浩次が「長期で積み立てしていたら、結局プラスになるのでは」と問いかけたが、卓郎氏は「それは、相場が右肩上がりだったからで。私は戻らないと言っている」と返答。加藤が「そしたら、世界の経済は終わりですよ」と投げかけるも、卓郎氏は「私は資本主義は終わると言っている」と譲らなかった。

 

 

私だっていつかは大きく下げる時が来るかもしれないとは思いますが、それでも森永さんが間もなく暴落が来るから今投資をしてはいけないと言った後でも、株価は大きく上昇していますし、その時から投資を始めたとしても今大きな利益が出ているわけで、残念ながら森永さんの言うことには耳を傾けないのが正解だと思っていました。

 

ではこれからどうするかですが、やはりそれでも加藤浩次さんの言うように、長期で投資するなら、たとえリーマンショック級の暴落に見舞われたとしても、株価はいずれ回復するので、全世界の株に投資するのはありだと思い、実際にそうしていますが、どうなんでしょうか。

 

そして森永さんを見ていて痛ましく思うのは、彼が遠い将来のことを話すのが、なんだかすごく切ない気持ちにさせるのです。

 

言っちゃあ悪いのかもしれませんが、遠い将来のことなんて考える必要はないというか、もうどうでもいいのではないかと思ってしまうのです。

 

そしてそうは言っても、やはり私はオルカンに投資し続けますし、森永さんの主張は

やはり聞く耳持たずという姿勢に変わりはありません。

 

それでもしいて言うなら、大地震と同じかもしれません。

 

東南海地震だって、来る来ると言われ始めて早数十年、いまだに来ませんが、それでも明日来たって不思議はないわけで、だったら別の土地に引っ越せばいいと言われるかもしれませんが、それでもみんな今の土地に住み続けているわけで、私も大した備えもしていません。

 

もちろんそれでいいとは思っていませんが、株の大暴落も同じようなもので、いつ来てもおかしくはないものの、それでも皆それを恐れずに投資をし続けているのだと思います。

 

ただ地震は命にかかわることですが、株はいくら大損をしても命を取られるわけではありません。

 

もし株が暴落して、それで明日の食い扶持もなくなって飢え死にしなければならない人がいるとしたら、それはいくら何でもリスクの取りすぎです。

 

私もそうですが、普通はちゃんとリスク管理をして、株に投資するとしても全財産を投資するわけではなく、ちゃんと防衛資金は残したうえで投資しているはずです。

 

ただ今は株価は右肩上がりで、それこそ今年から新NISAで投資を始めたような人たちは、一度もマイナスになることを経験していないでしょうから、そういう人たちに対しては、株は下がることもあるんだという警告というか、あまり浮かれすぎてはいけないよというメッセージくらいにはなるかなあと思います。

 

とにかく私は森永さんのことは一目は置いていますし、今の姿勢も本当に立派だとは思いますが、それでも森永さんの言いなりにはなりません。

 

それは山崎元さんの時も同じで、私も初めは山崎さんの教え通りにやっていましたが、ある時から疑問を持つようになり、世界株と日本株の投資比率を山崎さんの教えとは違う、世界株に大きなポジションを取るように変えました。

 

すると後から山崎さんの方が主張を変えて、全世界株でいいと言い出しましたが、とにかくいくら尊敬する評論家の言うことだろうと、鵜吞みにせず、ちゃんと自分の頭で考えて、自分が納得する行動をとることが大切なんだと思います。

 

どんなに偉い評論家だろうが、プロのファンドマネージャーだろうが、結局は投資は自己責任なので、人の言ったとおりにやって損をしたからと言って、だれも責任を取ってくれるわけではありませんからね。

 

人の言うことはあくまで1つの意見として聞いて、あくまで自分で判断しましょう。

 

最後は信じられるのは自分だけです。

 

それにしても森永さんの本はすごい売れ行きだそうですね。

 

本当に命がけで書いているのですから、それなりに心に訴えてくるものがあるのでしょうね。

 

でも私は今のところ読もうとは思いません。

 

私の投資の指針は全くぶれることはなく、今まで通り、インデックス投資で全世界株に投資を続けます。

 

それも結構な高いリスクを取って、資産の4分の3以上を株式に投資しています。

 

どうなるかは十年後になってみないとわかりません。

 

ただ結果がどうなろうと後悔だけはしません。

 

だってそれは私が自分の意志で決めたことですから。

 

それではまた。

人と比べるのは愚かなことです

こんにちは、まるぞーです。

 

人と自分を比べても仕方がありません。

 

もうこれから人と比べるのはやめます、と言うのは簡単ですが、実行することは極めて難しく、ほとんどの人ができないのではないかと思います。

 

私も今までに何度かそんなことを言ってきたような気がしますが、いまだに人と比べることはやめられません。

 

ただ比べる人というのは、自分の身の回りにいる人が多く、自分と同じ会社の同僚だったり、友達がほとんどなので、リタイアして仕事もせず、友達もおらず、ほとんど誰ともかかわりを持たなくなった今では、自然と人と比べる機会は減ってきています。

 

それは私にとっては良かったことです。

 

なぜなら、常に人と比べるから、劣等感を感じて落ち込んだり、人をうらやましく思い嫉妬にかられたりするわけで、誰とも比べなければ、悔しがったり絶望したりなどすることなく、心の安寧がもたらされるのです。

 

地位や名誉だったり、お金だって、健康だって、女にもてるかどうかだって、誰かと比べるから自分が情けなく思えたり、人がうらやましかったりして、ああ、私はなんて不幸なんだろうなどと思ってしまうのです。

 

誰とも比べなければ、私は十分お金持ちだし、少なくとも生きていくには困らないですし、独身だろうが、友達がいなかろうが、無職だろうが、別に悩むことでもありません。

 

もし世の中の人が全員無職で独身で貧乏だったら、それが悩みの種になるようなことはないでしょうが、現実は違います。

 

ものすごい格差があり、上を見たらきりがないし、下も私を基準にしたら、まだまだどん底というものはあります。

 

せっかくリタイアしたのだから、何も人と比べる必要はなく、ましてや競争なんてする必要は全くないわけで、誰かと自分を比べたりなどせず、平穏に日々暮らせばよいものを、どうしても人と比べてしまうという習性はなくなりません。

 

では無職で引きこもりの今、私は誰と比べているかというと、1つは普段読んでいるセミリタイアブログ界隈の人たちです。

 

つまり顔も名前も知らない、もしかしたら嘘を書いているかもしれない、およそ現実に存在する人というよりは、むしろ架空の存在とも言っていい人と自分を比べているのです。

 

あるいはどこかの統計だか何だかをネットで見て、50代の平均貯蓄額と比べてどうかとか、平均寿命は何歳だとか、前立腺肥大症の人の平均発症年齢は何歳だとか、そんなのよく考えてみたら、全く意味のないナンセンスなことだと思うのですが、なぜかすごく気にしてしまいます。

 

具体的な人の名を出すのは良くないかもしれませんが、話をわかりやすくするためにあえて出しますが、私が自分と比べてしまう人の一人に、人気リタイアブロガーの、人生よよよさんがいます。

 

有名なブロガーですから、このブログを読んでいる人なら多くの方が知っているだろうと思いますが、よよよさんは、29歳でリタイアし、極限ともいえる節約生活を続け、ためたお金でインデックス投資はしていますが、今もものすごい節約生活で、全く働いておらず、とにかく貧乏リタイアの最右翼ともいえる存在です。

 

私より年はかなり下ですが、私はブログを読んで、いつも感心しっぱなしで、影響も受けましたし、尊敬にあたる人だと思っています。

 

常によよよさんの考え方や、生活ぶりを私と比較してみるのですが、かなり私とは違った逆方向にいる人だといえます。

 

真似したくても凡人にはできない、ある種極めたというか、突き抜けた仙人のような存在で、よく教祖様とか言われて、その影響を大きく受けた、特に若者が多いのではないでしょうか。

 

私のようなある程度会社に長く勤め、資産を作ったうえでの早期退職者とは根本的に違い、なにしろ工業高校卒で中小企業の工場に勤め、はじめからリタイアを目指して極貧生活を続けてお金をためて、29歳という若さで仕事を辞め、以後も無職独身を貫き通し、家賃1万円アパートに住み、月数万円で暮らしているのですから、誰も真似できません。

 

もちろん私もよよよさんのようになりたいとは思いませんし、彼の生活にあこがれる人はあまりいないのではないかと思います。

 

でも私はよよよさんをある意味うらやましく思い、嫉妬してしまいます。

 

それは何かというと、やはり私の持っていないものを持っていて、私のできないことをしているからです。

 

ではよよよさんが持っていて、私が持っていないものとは何でしょうか。

 

それは強靭なメンタルです。

 

彼は好き好んで無職になり、あらゆる人間関係を遮断しましたが、それを寂しいなどとは感じておらず、むしろ一人でいることが幸せだと心の底から思っているのです。

 

お金も必要だから投資もしていますが、別に大金持ちになりたいと思っているわけでもなく、もし大金があっても、贅沢したいとも思わないと言っています。それは本音だと思います。

 

つまり他人から見れば、ひとり寂しく、かわいそうな人だと思われるような生き様ですが、本人はそれが快適で幸せだと感じているのです。

 

そうです、つまり彼は自分と他人を比べたりしていないのです。

 

普通の人とは全く違った価値観で生きていて、自分より地位や名誉や富のある人、結婚して家族がいて裕福で、誰もがうらやむような生活をしている人を、うらやましいなどとはこれっぽっちも思っていません。

 

1万円アパートに閉じこもって、誰とも付き合わず、ただ1人でゲームをするだけの生活、それを幸せだと感じ、彼が自ら望んでそうしたことなので、夢を実現したともいえるでしょう。

 

ですから彼の生活は、彼にとっては本当に幸せで満ち足りたものだと言えるのだと思います。

 

それに引き換え私はどうでしょうか。

 

まだ俗世間に未練たらたらです。

 

人と比べてうらやましがるということは、つまりは私の価値観が人と同じだということ、およそ私は常識的な価値観の持ち主だということです。

 

だから今の私の状態はよよよさんと違って、自ら望んで自分の意志でたどり着いたのではなく、気がついたらこうなっていた、つまり挫折の結果で、不本意極まりないのです。

 

私は本当はバリバリ仕事をして、仕事で成果を上げて出世したかった。誰からも尊敬されるような地位や名声が欲しかった。そして巨額の富が欲しかった。友達も恋人も欲しかったし、結婚して家庭も持ちたかった。

 

それが私の本音です。だから私の人生は挫折だらけの人生で、ちっとも自分が幸せだとは思えないのです。

 

それでもよよよさんと自分を比べてみると、今あげた項目で言うなら、よよよさんは私と同様かそれ以下、お金に関しては私の方が多いですし、生活水準も上です。ただし健康という点においては、よよさんはいたって健康ですから、私より上で、正直うらやましいです。

 

それなのに私はよよよさんのように、今の自分の置かれた環境を幸せだと感じることができません。

 

私が好んでよよよさんのブログを読むのは、ひとえによよよさんの価値観を受け入れて、私の価値観を変えて、私は幸せなんだと自分に言い聞かせたいがためではないかと思うのです。

 

同じ境遇でも、考え方次第で、自分がそれがいいんだと思い、自らの意志でそうしたことだったら、満足感も得られるでしょうし、自分は幸せだと思えるはずです。

 

私がこれから幸せになれるとしたら、それは自分の置かれた環境を変えることではなく、むしろ自分の価値観、考え方を変えることができるか否かにかかっているのではないかと思います。

 

今置かれた環境を変えることは、不可能とは言い切れないかもしれませんが、限りなく不可能に近く、至難の業だと思います。

 

もう私は再就職する気はありませんし、結婚する気もありません。

 

お金だけは唯一投資で増やせるかもしれません。

 

それが私が投資に夢中になり、少しでもお金を増やしたいと思う理由でしょう。

 

よよよさんの教えに導かれて、私も幸せになりたいものです。

 

とにかく人と比べるのをやめましょう。言うのは簡単ですが、実行するのは極めて難しいことです。

 

それではまた。