こんにちは、まるぞーです。
このブログで再三書いてきたことですが、私は人間関係が苦手です。
それは幼少期からで、小学生の頃は私は4歳年下の妹を従えて、妹と同い年の近所の男の子2人といつも遊んでいました。
私の方が4歳年上なので、私がガキ大将のような存在で、それは私の思い通りになるので、とても楽しかったのですが、学校では同い年のクラスメートの中では、私は体が小さかったこともあり、相撲を取っても負けてばかり、ドッチボールも当てられてばかりで、運動が苦手だった私は、遊びでも気後れして、なかなか友達と対等な関係になれず、いつも陰で委縮しているような存在でした。
それでもまだ何とか人間関係は構築できていましたが、中学校に入ってからは、私は高校を卒業するまで、一切友達と呼べる人がおらず、これは誇張でもなんでもなく、私は中学、高校の6年間を友達0で過ごしました。
読者の皆さんの中に、友達が1人もいなかったという人は、果たしておられるでしょうか。
まずめったにいないと思います。
それくらい私は特殊でしたし、いわば変わった子でした。
ですから中学高校の6年間は、私にとっては地獄の時代でした。
それでも今と違って、不登校などという言葉もまだなかった時代で、学校には毎日行きたくないと思い、行くのがものすごく憂鬱でしたが、それでも親の前ではいい子だったので、学校に行かないという選択肢はなく、風邪でたまに熱が出た時以外は、毎日休まずに通っていました。
学校に行っても1日中誰ともしゃべらず、授業中に先生に当てられでもしなければ、1日に1回も口を開かずに帰ってくる日も普通にありました。
私にとっては休み時間が地獄でした。
中学になると、外で鬼ごっこをして遊ぶなどということもなく、休み時間はたいてい友達同士で集まって、おしゃべりをしていましたが、私は誰も話し相手がおらず、かといって一人で読書などしたら、かえって目立って何か言われるのではないかと思い、それもできず、ただひたすら机に伏せて、寝たふりをしていました。
心の中では早く休み時間が終わらないかな、授業が早く始まるといいな、ただそれだけを考えて時間の過ぎるのを待ちました。
そんな生活を6年間も続けてきたのです。
一番嫌だったのは、修学旅行です。
部屋決めの時、好きな子同志で集まるのですが、私は最後まで売れ残ってしまい、人数調整がうまくいかないときに、担任の先生の手助けを借りて、ようやく最後に余ったところに割り振られました。
当時の私にとっても、それはものすごい屈辱でした。
当然修学旅行に行っても、楽しいはずはなく、やはり誰ともしゃべらずに集団行動をし、自由時間は一人でいるか、見かねた先生が話しかけてくれるかでした。
そんな私ですから、友達すらできないので当然恋人などできるはずもなく、恋愛などというものは、私にとってはメジャーリーガーの160kmのボールを、スタンドに叩き込むよりももっと難しい、100%不可能なことでした。
そんな人間関係の経験0の私ですから、大学に入ってからは友達ができ、普通に人づきあいができるようになった私ですが、就職してからはまたその人間関係の経験値のなさが、足を引っ張るようになりました。
仕事でのトラブルは、やはり人間関係のトラブルでした。
人と争うことができない私は、まさにイエスマンで、言われたことは何でもやったので、だんだんと無理難題を押し付けられるようになりました。
上司の言うことには絶対服従で、絶対に逆らいませんでしたから、上司には結構気に入られましたが、時には理不尽なことも頼まれ、嫌な仕事を全部二つ返事で引き受けて、ものすごい負担に耐えて、歯を食いしばって頑張りました。
やがて年を取り、中間管理職になり、部下を持つようになると、今度は部下に舐められて、部下は私の言うことを全く聞かず、いわゆる板挟みに苦しみました。
1人の部下があまりにも言うことを聞かないばかりか、私をダメ上司扱いして、私を無視して勝手に動いたり、本来私の承諾を得なければならない事案も勝手に行ったり、やりたい放題でしたが、私は何ら注意できませんでした。
本当ならもっと強く叱責するべきだったのでしょうが、気弱な私にはそれができず、おかげでますますモンスター部下に舐められて、やりたい放題されました。
あまりにも目に余ったので、一度上司に相談したことがありました。
私は上司から叱ってもらい、何らかの処分をしてほしかったのですが、逆に私が怒られ、「それはあなたの仕事でしょう。ちゃんと指導するなり教育してください。」と言われてしまいました。
やがて私の存在が邪魔になった部下に、私はあらぬ悪いうわさを流されたり、嫌がらせをされるようになりました。
それでも私は面と向ってその部下を注意できず、いわばいじめに逢っていたようなもので、私を追い出そうとす他の部署の先輩などとタッグを組まれて、私の追い出し作戦が始まりました。
私が抵抗しないのをいいことに、本当は私なりに抵抗はしたのですが、その力が弱すぎて、腕力でも頭の狡さでも、とにかく相手の方が上手で、私は逆パワハラと、いじめに逢い、うつ病になった挙句、会社を追われることになりました。
敵の思うつぼになり、悔しさと同時に自分が情けなく、とにかく屈辱感と敗北感だけが残りました。
これが私のサラリーマンを辞めるまでの人生です。
どうですか。本当に哀れでしょう。
そして現在の私は、友達と呼べる人もおらず、もちろん結婚もできず、独身無職で、おまけに病気だらけの冴えないおやじになったというわけです。
退職後にいろんなパートの仕事をやってみましたが、全部だめで、やはり人間関係でつまづきました。
どうやら私は根っからのいじめられっ子体質で、嫌な仕事は押し付けられ、何を言っても言い返せず、人のストレスの発散の受け皿になってしまうようです。
環境が変わってもいつも同じなので、どうやら私の性格に問題があるのだと結論付けました。
見るかに弱弱しく、殴っても殴り返してこない、いわばサンドバックのような存在なので、どこへ行ってもカモにされてしまうようです。
ですからもう私は一切仕事をする気はありません。
仕事だけではありません。習い事やサークル活動も、町内会の活動も、ありとあらゆる組織に属すると、必ず同じ結果になります。
前にも書きましたが、テニスのサークルに入った時も、私より年上の60代、70代の爺さま婆さま方に、さんざん「かわいがられた」挙句、みんなが嫌がる役員の仕事を押し付けられ、もう辟易して辞めました。
ですから私はこれから、どんな組織にも属さず、誰とも付き合わず、ただ1人で残りの人生を生きていこうと決めたのです。
そりゃあ1人は寂しいですよ。
私だって元来寂しがり屋ですから、本当は人恋しいし、孤独は健康にも非常に悪いそうですから、孤独が楽しいわけではありません。
でも人間関係のストレスに比べたら、やっぱり一人は天国なんですよ。
だから寂しさは我慢するしかありません。
しかしよく考えてみると、こんな変人ともいえる性格の私が、いやいやとはいえ、よくぞ52歳になるまで、まっとうな正社員が勤まったと思います。
私のような人間も世の中にはたくさんいると思いますが、みんな不登校になったり、働いてみてもすぐに辞めて、引きこもりになってしまうのではないでしょうか。
無職で親のすねをかじって生活していたら、親が死んだときに生活は破綻します。
それに比べたら、私は曲がりなりにも我慢して耐えて、転職や一部空白の時期もありましたが、なんとか52歳まで働いたおかげで、ある程度のお金を蓄えることができ、それをインデックス投資で運用した結果、何とか自力で生活できるめどが立ちました。
本当にかわいそうなくらい哀れな私の半生ですが、経済的にはまだ恵まれているほうだと思います。
やっぱりお金は大切です。健康が一番ですが、2番目はお金です、
健康とお金、あとは愛する人や友人がいたら、それは幸せな人生と言えます。
私にあるのはお金だけ、でも全滅の人に比べたら、1つだけでもあってまだましだと思います。
それではまた。