こんにちは、まるぞーです。
先日の記事「成人の日に20歳の私に言いたいこと - 50代セミリタイアで投資生活2」
にコメントをいただき、「人間関係得意な人でもそうなるのかーホントに生きるのって
難しいんだな」とのことですが、私は人間関係が決して得意ではなく、大の苦手です。
ただこの記事に書いたように、大学生の時は、たまたま運よく相手にして、仲間に入れてくれる人がいたおかげで、友達もでき、楽しい大学生活を送ることができました。
私の入った大学は、規模の小さな大学で、同じクラスの人数も少なく、いやでもクラスメイトとは濃密な人間関係ができたのです。
それが私に功を奏しました。高校まではクラスで誰にも相手にされず、ずっと一人で過ごしてきた私が、クラスメイトと親しくおしゃべりをする関係になったのです。
そのクラスメイトに誘われて、今までずっと帰宅部で部活などやったことのなかった私が、初心者でも大丈夫だからと言われて、なんとテニスのサークルに入ったのでした。
そこから運命が変わりました。テニスサークルで、他の学科の人たちとも知り合いになり、先輩後輩という縦のつながりもできました。
今まで女の子と口を利くことなどほとんどなかった私が、男女一緒に活動するサークルに入ったことで、女子とも親しく話せるようになりました。
元々酒が強かった私は、飲み会の席でも酒の力を借りてますます社交的になり、コンパやスキーに行ったりと、今までの人生とは全く別世界の生活を楽しむようになりました。
彼女はできませんでしたが、恋もして告白して振られたりと、まさに青春していました。
ところが就職してしまうとまた元の私に戻ってしまい、それ以外では後にも先にも、ほとんど友達というものができず、いつも一人でいて、孤独な人生を送ってきました。
今思うと友達がいた時期というのは、本当に楽しく幸せな時代でした。
ただどうして友達ができたかというと、たまたま環境が良かったというだけで、要するに私の性格上の問題点は、自ら積極的に人との関係を築くことができないということなのです。
私は基本的に常に受け身です。
来るものを拒むことも難しければ、去る者を追うのもさらに難しく、結局は自分から友達が作れないので、向こうから寄ってきた人とだけ付き合うということになります。
そして困ったことに、決して私は孤独が好きではないということです。
ただなかなか良い友達が向こうから寄ってきてくれるということはなく、今までには寄ってこられて煩わしかった関係も多く、それで人間関係はもうこりごりなのですが、かといって孤独が楽しいわけでもなく、結局一人で楽しくない人生をずっと送ってきました。
人間関係は得意どころか大の苦手です。
でももうこれは性格ですので、さすがに55歳になろうという今更、この性格を変えることなど至難の業です。
しかもこの年になるとなかなか出会いもなく、またそのような環境を自ら作ることも難しく、おそらくはこの先一生孤独な人生を歩んでいくことだろうと思います。
もうすでに私は新しい友達は諦めています。
仕事をすれば新しい友達もできるかなあとも思いましたが、やはり現実は無理でした。
別に職場の人間関係なんて、プライベートでも付き合うような関係は求めませんし、出来れば希薄な人間関係の方がいいですが、それでも今の人間関係は私だけが浮いていて、雑談というものもできませんし、私のいないところでみんなが私の悪口を言っていると思えてしまうほど、だんだん私の精神も病んできました。
ただし想像ほどではないとしても、おそらく多少の悪口は言われていると思います。
とにかく職場の人間関係は嫌でたまりません。
それから大学時代が幸せだったのには、もう一つ別の理由もあります。
今思えば当時の私は、自分のことが全く分かっていませんでした。
今思えば身の程知らずとしか思えませんが、まだ若かったというのもあってか、当時の私は自分のことを過信していました。
私には才能があって、人より優れていて、将来有望であると、そう思っていました。
将来の夢もありましたし、疑いもなくその夢がかなうのではないかとさえ思っていました。
今の自尊心のなさとは真逆ともいえる精神状態です。
当時はまだ健康不安も全くありませんでしたから、そりゃあ幸せな毎日でした。
知らぬが仏というように、馬鹿は幸せだということです。
私は単なる馬鹿でした。自分の身の程を全く知らず、夢と希望に満ち溢れていました。
人によっては若い時に不幸で、年取ってから幸せになる人もいるかもしれませんが、私はその逆です。
当然前者の方がいいですよね。
私はなまじ成功体験があるだけに、余計今の現実が辛く、こんなはずじゃなかった、どうしてこんなに不幸になってしまったのだろうと、わが運命を嘆くのです。
でも成功体験は、ないよりあった方がいいのだろうと思います。
これで一度も成功体験がなかったら、私は今よりもっと人生を悲観していたことでしょう。
確かに今はつらいですが、あの頃はよかったなあと思える過去があるだけでも、ちょっとは救いになっているような気がします。
もしかしたら、それがまだ私が人生をあきらめていない理由かもしれません。
まだこの先生きていたら、またいいことがあるかもしれないと思い、まだ生きたいと思える原因かもしれません。
とにかく私は自ら道を切り開くということが本当に苦手なので、すべては他力本願ですが、生きていれば大学時代のように予想もしなかったぼた餅が落ちてくることもあるかもしれません。
とにかく未来のことはわかりません。逆にわからないからこそ生きていけるということかもしれません。
今はひたすらつらい現実を、歯をくいしばって耐えるのみです。
あとは神頼みでしょうか。
それではまた。