こんにちは、まるぞーです。
いとこが亡くなりました。
もう危ないという知らせを聞いてから、2週間くらいでしょうか。結構長いことかかりました。
もしかしたら奇跡的に回復して、一命をとりとめたのかと思い始めましたが、やはりそうではありませんでした。
通夜に行ってきました。
葬儀には行きませんでした。
何をどう書いていいかよくわかりません。
ただいろんな感情を持ちました。
いとこでそれほど親しい間柄でないとはいえ、生前に何度も会っていた人です。
身内の死に直面すると、次に来る私の母や私自身の死を想像して、恐怖や不安などの感情に襲われます。
香典は故人の希望により辞退だという事で、持って行ったものの受け取ってもらえませんでした。
ただ内心では、お金を使わなくて済んでラッキーだったという気持ちです。
気が重い通夜も終わり一応ほっとはしましたが、疲れました。
またすぐにやってくる四十九日や、一周忌を思うとやはり憂鬱です。
私は親戚づきあいが大嫌いなので、冠婚葬祭で親戚と会うのがものすごく嫌です。
ただ思うのは、死んだ人間を皆が忘れないように、また一人が死んでも、その後も変わらぬ親戚関係の確認のために、そういった仏事があるのでしょうが、私には子供がいませんので、世代が変わり、次の時代に受け継がれていくという感じはなく、ただ一人また一人と、だんだん親族がいなくなり、最後には私一人が取り残されるのではないかといった、寂しさや恐怖を感じます。
時は刻々と過ぎてゆき、人はいずれ死ぬ、こんな当たり前のことですが、私は現実をなかなか受け入れることができません。
いつも母が亡くなる時のことを考えてしまい、ぞっとします。
そしていつかは私も死ぬのですが、自分が死んでしまったあとは、誰がどうなろうと、世の中がどうなろうと、私の知ったことではありませんので、私は自分の葬式をこうしてほしいだとか、墓をこうしてほしいだとか、ましてや家や遺産もどうなろうが、はっきり言ってどうでもいいです。
親族が法事の時などに、よく死んだ父もあの世で喜んでくれているよとか、見ているなどと言いますが、私はそんなことは全く信じません。
死んだ人には残された親族がどうなっていようが関係ありません。
死んだらただの無です。
それが怖いので、天国だ地獄だのと言ったり、魂が生きていて、盆になるとこの世へ帰ってくるなどと言ったり、先祖供養をやらないと罰が当たるなどと言う人がいますが、そんなのは死の恐怖を和らげるためのごまかしにすぎません。
誰もが死に直面するのは怖いですし、嫌ですが、これだけはどんな大金持ちも、権力者も避けて通れないことです。
逆に幸せな人ほど死を恐れるのではないかと思います。
お金もなく、仕事や人間関係でも苦労ばかりして、この世が地獄だった人には、死はむしろ歓迎すべきもの、やっとこの世の地獄から解放される時なのかもしれません。
私も死が怖いと感じるのは、まだ人生がぬるま湯で結構居心地がいい証拠かもしれません。
母が先に死んで、本当に孤独になり、持病が悪化して苦しくなったら、私も早く死にたいと強く思うようになるのかもしれません。
なんだかまた憂鬱が増してきました。
世界は灰色に見え、何もかもがつまらなく思えます。
この先の人生なんて何にもいいことはなさそうですが、こうやって日々何もせずに生きていたら、案外あっという間にお迎えが来るのかもしれません。
それではまた。