50代、完全リタイアで投資生活

50代無職、独身男のリタイア生活。 資産4000万円で投資はインデックス運用です。旧ブログはこちらです。リンクから飛べます。https://maruzokun.hatenablog.com/

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坂本龍一さんが亡くなりました

こんにちは、まるぞーです。

 

坂本龍一さんが亡くなりました。

 

昨晩テレビを見ていたら、速報でニュースが入ってきました。

 

坂本龍一さんについて、どんな人だったとかはもう書く必要はないと思いますが、私にとっては特別にファンだったという訳ではありませんが、気になる有名人、ミュージシャンの一人でした。

 

毎回有名人が亡くなる度に、私はブログで同じようなことを書いていますが、今回も例外でなく、やはり私の青春時代からずっとスターだった人が亡くなった寂しさと、それだけ月日が流れ、私も年を取ったんだなと感じました。

 

最近私は父を亡くしましたが、やはり身近な親族の死は特別なものでした。

 

一方有名人の死は、いくら有名で私がよく知っている人だとは言え、それはテレビやニュースの中での話であり、実際に私はその人と会ったこともなく、プライベートでどのような人だったかは、知る由もありません。

 

ですから亡くなったと聞いても、寂しさや喪失感はあるものの、それは長く続くものではなく、それで私の生活がどう変わるわけでもなく、あまり現実感はありません。

 

今回もそれは同様なのですが、坂本さんの死によって一番大きく感じたことは、やはり死というものの恐怖と、癌の怖さです。

 

最近も有名人で亡くなる方は、やはり癌のケースが非常に多く、これは自分もいつか癌になる可能性が十分にありますので、他人事とは思えず、改めて怖いなあと感じてしまいます。

 

そして死というものに対してですが、坂本さんは私と比べるまでもなく、やはり全く別世界の人で、私の持っていないものをいっぱい持っていた人です。

 

お金はもちろんですが、お金よりも羨ましいのは、彼の才能、功績、評価などです。

 

言わば名声と言いますか、私が全く何も持っていないのに対して、彼は死んでも、作品とその功績は世に残り、ずっと人々の中で生き続けます。

 

彼の最後の言葉に、「芸術は長く、人生は短い」という言葉があったそうですが、まさにそれで、お金はいくらあっても死んでしまえばあの世へは持っていかれませんが、彼の残した音楽は、後世まで残るものです。

 

私にはそれが全くないので、それがうらやましく、嫉妬すら感じます。

 

ただしよく考えてみると、いくら彼が素晴らしい作品を世に残したとしても、それを楽しむことができるのは、まだ生きている人たちだけで、彼が死後どう評価されようと、死んでしまったらもう何もわからないのだから、同じではないかと思うのです。

 

同様に、例えば子供をもうけ、子孫を残すことも、自分が死んだ後にも残る自分の生きた証と言えますが、たとえ子孫の心の中に生き続けたとしても、死んだ本人はもう何も分からないのだから、死んでしまえば同じだとも言えます。

 

私は子供も作品も何も残していませんから、本当に死んでしまったら何もありません。

 

私が生きた証などはなく、私が生まれてこなかったとしても、世の中は何も変わりませんでした。

 

私がこの世に生きた意味など何もないと思うと、それは寂しい気もしますが、所詮人間一人の人生なんて、いてもいなくても世界に何も変化はなく、死んだら同じだと思うと、別に何もいらないし、生きているうちが花かなあと思います。

 

死んでしまったらそれで終わり、だから生きているうちに後悔の無いよう生きるべきだと思います。

 

自分が死んだ後の事なんてどうでもいいです。

 

死んでしまった坂本さんより、まだ生きている私の方が幸せです。

 

そう思うことにします。

 

もし仮に、死ぬ少し前の癌で苦しんでいる坂本さんと、今の私が入れ替わることができたとしたら、替わりたいかと聞かれたら、もちろん答えはNOです。

 

つまりどんなに才能があっても、名声があっても、成功した人でも、死んでしまえばそれで終わりということです。

 

私も57歳になりました。

 

人生100年と言われますが、みんながみんな100歳まで生きられるわけではありません。

 

坂本龍一さんは、享年71歳です。私はその歳まであと14年です。

 

そして71歳までだって、生きられるという保証はどこにもありません。

 

癌になってあと1年で死ぬかもしれません。

 

だから私は今生きていることに感謝して、日々、1日1日を大切に、少しでも楽しく生きられるようにしたいと思います。

 

坂本さんの死によって、喪失感もありますが、それ以上に自分はまだ生きていて、おいしいものも食べられるし、幸せだなと感じてしまいました。

 

それではまた。