50代、完全リタイアで投資生活

50代無職、独身男のリタイア生活。 資産4000万円で投資はインデックス運用です。旧ブログはこちらです。リンクから飛べます。https://maruzokun.hatenablog.com/

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同じ人間なのにどうしてこうも違うのでしょうか

こんにちは、まるぞーです。

本日の投資:先進国株に1万円の買い注文。 追加投資額累計:67万円

 

もうなるべくコロナのニュースは見ないようにしようと、ブログで言って見たものの、やはりほぼ1日中、テレビかネットで、コロナのニュースばかり見ています。

 

結局他にやりたいこともなく、暇で仕方がないんでしょうね。それとやっぱり、今頭の中は、コロナと自分の健康のことだけでいっぱいで、どうしても知りたくなってしまいます。

 

ここは自分の気持ちを抑えるのはやめて、欲望のままに、見たいものは見てやろうと開き直りました。

 

そんなわけで、昨日もコロナのワイドショーをずっと見ていましたが、夕方発表された、東京の新たな感染者数、47名にはさすがに驚きました。

 

後からよく調べると、新宿、歌舞伎町の同じ店のホスト、従業員の感染が18人だということがわかり、ホストクラブを集団検査したというのは、むしろ感染拡大を防ぐのに最も効果的な方法なので、よかったと思いました。

 

それにしても、歌舞伎町のホストクラブは、相当汚染されているということですね。

 

それなのにそんな危険なところへ、いまだに遊びに行く人がいるというのは、私からすると考えられないことですが、人ってそれぞれなんだなあと、人間の不思議に驚かされます。

 

動物は本能に組み込まれたプログラムに従って行動しますので、個体によりばらばらの行動をするということはまずないと思いますが、人間の場合は(ある学者によると)本能が壊れてしまった動物なので、その代用品として、自分で作った何らかの行動規範に従って行動しているわけです。

 

その行動規範が各自バラバラなので、法律などでルールを作り、破ったら罰則を与えるなどしないと、みんなてんでバラバラな行動をして、社会の秩序が成り立ちません。

 

そういった意味で、今回のコロナ感染対策として、日本のみが、法に縛られない、単なる自粛要請だけで、何ら罰則もない中で、国民がこれだけ政府の要請に従って、感染拡大を抑えられたというのは、人間研究の上からも、非常に興味深い事例です。

 

欧米の人が不思議がるように、おそらく日本以外の国、とりわけアメリカで同じ方法を取ったとしたら、まず成り立たないでしょう。

 

アメリカ人が不思議がるのも無理ありません。

 

では日本人はなぜ法で縛らなくとも、皆が同じ行動をとる、つまりは政府のお願いに従うのでしょうか。

 

これは日本の国民性だと思います。そしてそれを築き上げた要素は、他でもない日本の教育だと思います。

 

アメリカやヨーロッパでは、個人の自由を尊重する教育が、家庭でも学校でもずっとなされてきました。

 

日本でも戦後は欧米型の教育を、形の上では取り入れていますが、でも日本人に潜在的に根付いている価値観は、本当は違います。

 

では何かというと、同調することを良しとする価値観です。

 

個人主義の反対、個を認めず、集団で皆が同じ価値観で行動することを良しとするものです。

 

そこに同調圧力が生まれ、集団の規律に従わないものは、いじめられて、排除されます。

 

皆それが怖いので、窮屈ながらも自分というものを押し殺して、集団の規律に合わせて生きているのです。

 

もちろん中には例外もいます。特に若い人に多いように思います。

 

今回のコロナ禍の中で、緊急事態宣言中にもかかわらず、夜な夜なパーティーをしたり、歌舞伎町のホストクラブに通ったりする連中は、まさにその典型です。

 

当然世間からは猛烈に非難されますし、強いバッシングにあいます。

 

でも考えてみたら、彼らは特に犯罪を犯しているわけでもないんですよね。

 

勘違いしないでください。私は決して彼らを擁護したいわけではありません。

 

むしろ彼ら彼女らの存在を知ると、腹が立って仕方がなく、なんでこいつらのせいで世の中の真面目に自粛している人間が、迷惑を被らなきゃあならないんだと、気が狂いそうになりますが、よく考えてみると、彼らには彼らの言い分があり、少なくとも彼らの中では、何らかの理由をつけて自分を正当化しているのだと思います。

 

ただし、幸か不幸か(少なくとも今回のコロナ感染においては幸運にも)、彼らのような人間が少数派だったおかげで、日本は感染爆発を免れたとも言えます。

 

これはとても良かったことです。

 

でもひとたび政府が間違った判断を下し、それを国民に押し付けたとしたらどうでしょう。

 

例えば第2次世界大戦です。

 

誰も国が間違っているとは言えず(思っている人も少なかったのではないでしょうか)、黙って政府の言いなりになり、尊い命を大量に奪われる結果となってしまいました。

 

戦争が終わると手のひらを返したように、あれは政府が間違っていた、すべては軍の責任だなどと、戦争に加担した国民にはまるで責任が一切ないかのように、国を悪者にします。

 

要は黙って素直に人の言いなりになるだけの人というのは、必ずしも褒められた存在ではないのではないかと思うのです。

 

私は典型的なイエスマンですから、自分を含めての反省ですが、たとえ誰の命令であっても、行動した自分にもちゃんと責任があるのであり、自分は命令に従っただけで、自分に責任がないという言い分はおかしいと思うのです。

 

命令に従うも従わないも、自分の行動は、自分の責任で行わなければなりません。

 

それを肝に銘じたいと思います。

 

それではまた。