こんにちは、まるぞーです。
今日は土用の丑だそうです。
私も昼食に鰻をいただきました。
このボリュームで、1人前350円ですから、本当に安いです。
先日、実家の近くのスーパーでウナギを見ましたが、やはり中国産でも、1尾1400円、国産の特大サイズは3000円もしました。
中国産を買っても、ドンキ鰻の倍の値段です。おまけに大きさはほとんど半分くらいの小ささですから、実質は4倍高いです。
しかも見るからにおいしそうではなく、絶対にドンキ鰻の方がおいしいですから、もう鰻はドンキ以外考えられません。
しかし贅沢ですよね。ほんとにここ最近、頻繁にウナギを食べています。安いからいいものの、やはりあまり頻繁に食べると、ありがたみがなくなって、食べたときの感動がだんだんとなくなっていきます。
それは残念ですが、それでも今日もまた、やっぱりおいしかったです。ほんと肉厚で、すごいボリューミーです。
さてウナギの話はこれで終わりますが、今日の朝から、まためまいがしています。
自宅まで来たのはいいですが、階段を上るときにも、足がふらついて、まっすぐ登れませんでした。
じっと立っていることさえできないくらい気持ちが悪くなり、しばらく寝ていました。
今は治まって、それでご飯を炊いて、ウナギも食べたのですが、まだ少し頭痛がしています。
めまいも一旦治って、最近はずっとよかったのですが、またぶり返してしまいました。
一体何が悪いのでしょうか。脳の検査をしなくても大丈夫でしょうか。また不安になってきました。
確かに睡眠がよくないというのもあります。
昨夜も4時に目が覚めてからは、全く眠ることができず、結局4時からそのまま起きています。
昨日は暑かったので、エアコンをつけっぱなしで寝ました。室温は暑くも寒くもなく快適だったので、暑さのせいではないはずです。
急に暑くなったので、体が適応できず、また自律神経が乱れているのでしょうか。
よくわかりませんが、とにかくデリケートな体です。
もう何年も、今日は体調がいいという日がほとんどありません。
年がら年中悪いところがあって、ずっと症状に苦しんでいます。
ほんとに辛いです。
おとといでしたっけ、三浦春馬さんが急死したという衝撃のニュースが流れました。
おそらく自殺だそうで、遺書らしきメモが残っているそうですが、実際何が悩みだったのか、なぜ死ななければならなかったかは、全く分からないようです。
私もうつ病で苦しみ、一時は死ぬことも考えたことがありますので、自殺する人の気持ちがわからないでもありません。
でも私は考えたことはあっても、実際に行動に移したことはありません。
実際に行動に移すことと、ただ考えることの間には、大きな隔たりがあると思います。
私の場合、悩みは仕事上の悩みでしたが、会社に行くのをやめること、つまり現実から逃げることで生き延びられました。
まだ死ぬという選択肢はありませんでした。
会社に行くのをやめて、仕事上の人間関係から逃げ、自ら精神科に助けを求めて駆け込みました。
私はそれでよかったと思っています。
もし逃げずに現実と向き合い戦っていたら、今頃命がなかったかもしれません。
ただ私はそれによってプライドをなくしました。プライドを捨てて逃げたことで、私はそれまで持っていたあらゆるものを失い、全くのクズ人間になってしまいました。
でも自分がクズであることを許し、それを受け入れたことで、今でも生き続けています。
三浦春馬さんが何を悩んでいたのか、どんな問題を抱えていたのかわかりませんが、もしかしたら、彼はプライドが高かったのかもしれません。
そしてプライドを捨てられなかった、あるいは生きて逃げるという選択肢がなかったのかもしれません。
ですから現実が耐えられなくなったときに、自死という方法でしか逃げられなかったのかもしれません。
それにしても、死ぬほどつらい悩みを、誰にも相談することなく、どこかに書くということもせず、ずっと自分の心の中に抱えていたのだとしたら、私にはまねのできないことです。
やはり人というのは、人それぞれだなあと思いました。
私だったら、誰にも言わず、1人で抱えることなんてできません。
逆に言えば、だから私は死なずに済んだと言えるのかもしれません。
誰にも言えず、ずっと自分一人で抱えていたら、やはり死ぬという行動に出てしまうのかもしれません。
よく周りが気付いてあげられなかったとか言いますが、私が思うに、助けてくれる人なんて誰もいないと思います。
どんなに親しい人だって、所詮は他人事です。たとえ親や家族であっても、自分から言わないと、向こうから歩み寄ってはくれないのが普通ではないかと思います。
心を閉ざすということも、もうすでに病気の症状だと思いますので、本当にただただ残念としか言いようがありません。
私は私で、どんなにみじめだろうと生きていきますよ。
ただ生き残った人と、死んでしまった人、どちらが幸せかということは、一概には言えないのではないかと思います。
それではまた。