こんにちは、まるぞーです。
人と自分を比べても仕方がありません。
もうこれから人と比べるのはやめます、と言うのは簡単ですが、実行することは極めて難しく、ほとんどの人ができないのではないかと思います。
私も今までに何度かそんなことを言ってきたような気がしますが、いまだに人と比べることはやめられません。
ただ比べる人というのは、自分の身の回りにいる人が多く、自分と同じ会社の同僚だったり、友達がほとんどなので、リタイアして仕事もせず、友達もおらず、ほとんど誰ともかかわりを持たなくなった今では、自然と人と比べる機会は減ってきています。
それは私にとっては良かったことです。
なぜなら、常に人と比べるから、劣等感を感じて落ち込んだり、人をうらやましく思い嫉妬にかられたりするわけで、誰とも比べなければ、悔しがったり絶望したりなどすることなく、心の安寧がもたらされるのです。
地位や名誉だったり、お金だって、健康だって、女にもてるかどうかだって、誰かと比べるから自分が情けなく思えたり、人がうらやましかったりして、ああ、私はなんて不幸なんだろうなどと思ってしまうのです。
誰とも比べなければ、私は十分お金持ちだし、少なくとも生きていくには困らないですし、独身だろうが、友達がいなかろうが、無職だろうが、別に悩むことでもありません。
もし世の中の人が全員無職で独身で貧乏だったら、それが悩みの種になるようなことはないでしょうが、現実は違います。
ものすごい格差があり、上を見たらきりがないし、下も私を基準にしたら、まだまだどん底というものはあります。
せっかくリタイアしたのだから、何も人と比べる必要はなく、ましてや競争なんてする必要は全くないわけで、誰かと自分を比べたりなどせず、平穏に日々暮らせばよいものを、どうしても人と比べてしまうという習性はなくなりません。
では無職で引きこもりの今、私は誰と比べているかというと、1つは普段読んでいるセミリタイアブログ界隈の人たちです。
つまり顔も名前も知らない、もしかしたら嘘を書いているかもしれない、およそ現実に存在する人というよりは、むしろ架空の存在とも言っていい人と自分を比べているのです。
あるいはどこかの統計だか何だかをネットで見て、50代の平均貯蓄額と比べてどうかとか、平均寿命は何歳だとか、前立腺肥大症の人の平均発症年齢は何歳だとか、そんなのよく考えてみたら、全く意味のないナンセンスなことだと思うのですが、なぜかすごく気にしてしまいます。
具体的な人の名を出すのは良くないかもしれませんが、話をわかりやすくするためにあえて出しますが、私が自分と比べてしまう人の一人に、人気リタイアブロガーの、人生よよよさんがいます。
有名なブロガーですから、このブログを読んでいる人なら多くの方が知っているだろうと思いますが、よよよさんは、29歳でリタイアし、極限ともいえる節約生活を続け、ためたお金でインデックス投資はしていますが、今もものすごい節約生活で、全く働いておらず、とにかく貧乏リタイアの最右翼ともいえる存在です。
私より年はかなり下ですが、私はブログを読んで、いつも感心しっぱなしで、影響も受けましたし、尊敬にあたる人だと思っています。
常によよよさんの考え方や、生活ぶりを私と比較してみるのですが、かなり私とは違った逆方向にいる人だといえます。
真似したくても凡人にはできない、ある種極めたというか、突き抜けた仙人のような存在で、よく教祖様とか言われて、その影響を大きく受けた、特に若者が多いのではないでしょうか。
私のようなある程度会社に長く勤め、資産を作ったうえでの早期退職者とは根本的に違い、なにしろ工業高校卒で中小企業の工場に勤め、はじめからリタイアを目指して極貧生活を続けてお金をためて、29歳という若さで仕事を辞め、以後も無職独身を貫き通し、家賃1万円アパートに住み、月数万円で暮らしているのですから、誰も真似できません。
もちろん私もよよよさんのようになりたいとは思いませんし、彼の生活にあこがれる人はあまりいないのではないかと思います。
でも私はよよよさんをある意味うらやましく思い、嫉妬してしまいます。
それは何かというと、やはり私の持っていないものを持っていて、私のできないことをしているからです。
ではよよよさんが持っていて、私が持っていないものとは何でしょうか。
それは強靭なメンタルです。
彼は好き好んで無職になり、あらゆる人間関係を遮断しましたが、それを寂しいなどとは感じておらず、むしろ一人でいることが幸せだと心の底から思っているのです。
お金も必要だから投資もしていますが、別に大金持ちになりたいと思っているわけでもなく、もし大金があっても、贅沢したいとも思わないと言っています。それは本音だと思います。
つまり他人から見れば、ひとり寂しく、かわいそうな人だと思われるような生き様ですが、本人はそれが快適で幸せだと感じているのです。
そうです、つまり彼は自分と他人を比べたりしていないのです。
普通の人とは全く違った価値観で生きていて、自分より地位や名誉や富のある人、結婚して家族がいて裕福で、誰もがうらやむような生活をしている人を、うらやましいなどとはこれっぽっちも思っていません。
1万円アパートに閉じこもって、誰とも付き合わず、ただ1人でゲームをするだけの生活、それを幸せだと感じ、彼が自ら望んでそうしたことなので、夢を実現したともいえるでしょう。
ですから彼の生活は、彼にとっては本当に幸せで満ち足りたものだと言えるのだと思います。
それに引き換え私はどうでしょうか。
まだ俗世間に未練たらたらです。
人と比べてうらやましがるということは、つまりは私の価値観が人と同じだということ、およそ私は常識的な価値観の持ち主だということです。
だから今の私の状態はよよよさんと違って、自ら望んで自分の意志でたどり着いたのではなく、気がついたらこうなっていた、つまり挫折の結果で、不本意極まりないのです。
私は本当はバリバリ仕事をして、仕事で成果を上げて出世したかった。誰からも尊敬されるような地位や名声が欲しかった。そして巨額の富が欲しかった。友達も恋人も欲しかったし、結婚して家庭も持ちたかった。
それが私の本音です。だから私の人生は挫折だらけの人生で、ちっとも自分が幸せだとは思えないのです。
それでもよよよさんと自分を比べてみると、今あげた項目で言うなら、よよよさんは私と同様かそれ以下、お金に関しては私の方が多いですし、生活水準も上です。ただし健康という点においては、よよさんはいたって健康ですから、私より上で、正直うらやましいです。
それなのに私はよよよさんのように、今の自分の置かれた環境を幸せだと感じることができません。
私が好んでよよよさんのブログを読むのは、ひとえによよよさんの価値観を受け入れて、私の価値観を変えて、私は幸せなんだと自分に言い聞かせたいがためではないかと思うのです。
同じ境遇でも、考え方次第で、自分がそれがいいんだと思い、自らの意志でそうしたことだったら、満足感も得られるでしょうし、自分は幸せだと思えるはずです。
私がこれから幸せになれるとしたら、それは自分の置かれた環境を変えることではなく、むしろ自分の価値観、考え方を変えることができるか否かにかかっているのではないかと思います。
今置かれた環境を変えることは、不可能とは言い切れないかもしれませんが、限りなく不可能に近く、至難の業だと思います。
もう私は再就職する気はありませんし、結婚する気もありません。
お金だけは唯一投資で増やせるかもしれません。
それが私が投資に夢中になり、少しでもお金を増やしたいと思う理由でしょう。
よよよさんの教えに導かれて、私も幸せになりたいものです。
とにかく人と比べるのをやめましょう。言うのは簡単ですが、実行するのは極めて難しいことです。
それではまた。