50代、完全リタイアで投資生活

50代無職、独身男のリタイア生活。 資産4000万円で投資はインデックス運用です。旧ブログはこちらです。リンクから飛べます。https://maruzokun.hatenablog.com/

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一生、結婚しない人がこれだけ増えた!

こんにちは、まるぞーです。

 

今日も何も書くことがありません。

 

ただ生きています。

 

株はこのところの上昇から、ここ数日、やや下げています。

 

ちょっと一服でしょうか。

 

さてそんな中、今日も何か面白い記事はないかとネットサーフィンをしていたら、こんな記事を見つけました。

 

男性は3人に1人、女性は5人に1人が結婚しない社会に…現代日本が「結婚不要社会」となってしまった決定的要因

 

もうこれ、このまま紹介すればいいと思うんですが、それでは私の記事にならないので、とにかく気になったところを抜き出してみます。

 

2021年の末、「生涯未婚率」の急上昇が、日本のメディアを騒がせました。2020年の国勢調査の結果が公表され、日本人男性の28.3%、女性の17.9%が、生涯未婚であるという報道です。今後、男性の約3割弱、女性の約2割弱が、結婚せずに人生を終える実態を、内閣府の「少子化社会対策白書」が提示したのです。

 

 

まあいろんなところで言われていることですが、現在日本では、

男性は3人に1人、女性も5人に1人は結婚しない

というのが現実なんですね。

 

つまり私のような男性が、3人に1人もいるということで、これなら私はもはや少数派ではなく、決して恥ずかしいことでもないということです。

 

仲間が増えたということは、市民権を得たということでもあり、ちょっと嬉しくもなりますが、これは少子化という観点から見たら、大問題なんですよね。

 

さて、この「生涯未婚率」ですが、終戦直後の1950年時点では、なんと男性は1.5%、女性は1.4%でした(1900年生まれ相当)。つまり100人いれば、男女共に98人は結婚していた計算です。戦後から高度経済成長期までの日本社会は、国民のほとんどが結婚する「皆婚」社会だったと先に述べましたが、この数字からますます納得できるのではないでしょうか。

 

私は今に生まれて本当に良かったです。もし終戦後に生まれていたら、もう人から石を投げられる存在、肩身の狭いどころの話ではありませんでしたね。

 

しかし問題はここからです。

 

「一生、結婚しない人がこれだけ増えた!」というニュースは衝撃的ですが、そもそも現代人は、「独身」である期間が、親世代や祖父母世代に比べて、圧倒的に伸びました。

「結婚しないまま人生を終える人」以外にも、「40歳近くまで結婚しない人」「結婚したけれど、離婚して独身に戻った人」「結婚したけれど、配偶者に先立たれた人」も増加したのです。その理由の一端が、日本人の長寿化にあります。

大学の講義で、私は小津安二郎監督作品の『晩春』(1949年公開)を紹介することがあります。物語の中で笠智衆さん演じる父親が、原節子さん演じる27歳の一人娘に、結婚を促すために語る言葉があるのですが、その内容に学生たちはどよめきます。

「お父さんはもう56(歳)だ、もう先は長くない」というセリフです。

現代の日本社会で「56歳」という年齢が「老い」に結びつくことはほとんどありません。芸能人に限らず一般人でも、今の50代は光り輝いており、生命力に満ち溢れています。むしろ「人生百年時代」において、「50代は人生の折り返し地点」と捉える人も少なくないのではないでしょうか。

ですが、この映画がつくられた時代は違いました。当時の男性の平均寿命は約60歳だったのです。この物語のお父さんは、決して泣き落とし戦略で娘を結婚させようとしたのではなく、本人のリアルな感覚として「もう自分の人生は長くない」、そう感じていた、ということです(母親はすでに他界しているという設定です)。

当時は、年金受給前に約半分の男性が亡くなる時代です。今のような年金財政破綻の心配がないと同時に、27歳の娘も「万が一結婚できなかったら、親にパラサイトしよう」などとは思わなかったはずです。

むしろ「早く結婚しなくては、自分はひとりぼっちになってしまう」という、生活の経済的基盤と心のよりどころを失う焦燥感の方が強かったはずです。それが「皆婚」時代の昭和と、「難婚」社会の平成かつ「結婚不要社会」の令和との最大の違いです。

今や結婚しないまま30代になり、40代そして50代になっても、実家に同居することは可能です。親が60代、70代、80代を過ぎても健康であることも多くなりました。途中から年金受給も始まります。パラサイトしている子も、給料から幾分かを家計費として納めていれば、親世代も助かるかもしれません。

中年になった我が子の世話を、高齢になっても続けなければならない親世代の心労も、とめどない子への愛情で解消できるのかもしれません。「子はいくつになっても愛しいもの」「老いては子に従え」の変形が、日本社会特有の親子密着型同居スタイルに継承されているのかもしれません。

自らは結婚せず「未婚」を選んでも、家に帰れば家族がいる安心感、これは大きいものです。あるいは一度結婚したものの「離婚」となった場合も、「実家に戻る」選択肢があります。日本では、若年で離婚した女性の約半数が実家に戻るという報告もあります。

自分で選んだ配偶者との関係は解消可能でも、実家に戻れば、血でつながった本物の「家族」がいる安心感。そしてそれを許してきた親世代という構図が、社会のセーフティネットの欠損部分を補い機能し続けている。この実態こそが、日本の「未婚社会」を下支えしている大きな要因となっています。

 

太字にした部分ですが、私は58歳ですが、すでに56歳の時から老いを感じていました。

 

やはり今の常識では、56歳で老いを感じるのはおかしくて、50代はまだまだ働き盛りで、人生の折り返し地点などと考えるのが普通なのでしょうか。

 

私はとてもそうは考えられません。

 

もう私の人生は終盤戦で、この先もう一花咲かせるなんて、とても考えられません。

 

確かに私はこのコラムが言うように、母親が長生きしてくれて、おまけに私が母親にパラサイトしたおかげで、今日まで孤独にならずに生きてこられましたが、それでも母親はやがて死にますし、そうしたら私は天涯孤独です。

 

母親の死後、一人でどうやって生きていくのだろうと考えると、ぞっとしますが、でも今の統計では男性の3人に1人は生涯独身なのですから、みんなこの同じ問題に直面せざるを得ません。

 

最後は皆一人、心配しても仕方がないのかもしれません。

 

施設にでも入り、最後の時を迎えるまで誰かの世話になりつつ、静かに生きることになりそうです。

 

なんだか寂しい話ですが、老いは誰にもやってきます。

 

大勢の家族に囲まれていたら幸せかっていえば、必ずしもそうとは限らないと思います。

 

家族も夫婦も皆仲がいい前提で考えているとそうでしょうが、実際は仲がいいとは限りません。

 

私は人と関わるのが大の苦手ですので、一人がお気楽でいいです。

 

それではまた。