50代、完全リタイアで投資生活

50代無職、独身男のリタイア生活。 資産4000万円で投資はインデックス運用です。旧ブログはこちらです。リンクから飛べます。https://maruzokun.hatenablog.com/

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父の思い出

こんにちは、まるぞーです。

 

父の容体は相変わらずのようです。

 

母は心配して何度も病院に電話して聞いているようですが、さすがに毎日するのは嫌がられるかもと遠慮して、2日に一度電話すると言っていました。

 

詳しいことはわかりませんが、変わらずだということは、急変して悪化もしていなければ、良くなってもいないということなのでしょう。

 

相変わらず意識はないようで、点滴をして、ずっと寝ているようです。

 

ただ、一度高熱が出たそうで、それは解熱剤で治まっているとのことです。

 

毎日いつ病院から電話がかかってくるかと緊張していますが、なかなか長引くのかもしれません。

 

さて父はまだ生きていますが、少し父の思い出を書いてみようと思います。

 

私は子供のころからずっとマザコンで、母とはよく話しましたが、父は頑固で厳しい面もあり、私は父とはそりが合わないというか、よくケンカしたり、あまり口を利かなかった時期もあり、父が嫌いだと思った時もありました。

 

父はまじめで世間体を気にする、いわゆる古いタイプの人で、私がセミリタイア、つまり仕事を辞めたことも、いまだに言っていません。

 

言ったら絶対に怒られると思ったからです。

 

学生時代から、勉強しろと口うるさく、少しでも良い大学を出て、良い会社に就職するのが良いという価値観で、私は父の期待には応えられず、結婚もしなければ、大学も父が望むような経済学部ではなく、実はちょっと特殊な、およそ就職と結びつかない、いわゆる好きなことをする大学に進みました。

 

就職は一旦公務員になったものの、5年で辞めてしまい、その時も父を大きく失望させました。

 

私は父の反対を押し切って好きな道に進み、そこで挫折して、一旦は仕事も辞め、いつまでたっても結婚もせず、父にとっては決して良い息子ではありませんでした。

 

しかし口ではぶつぶつ言いながらも、父は経済的な援助は惜しみませんでした。

 

そのことはいまだに感謝していますし、その恩に報いるだけの恩返しというか親孝行ができなかったことが唯一の心残りです。

 

私がうつ病になったことも父には言えず、親戚や妹にも内緒にして、私と母親だけの秘密にしていました。

 

ようやく最近、妹には母から言ってもらいましたが、父にはとうとう言えずじまいでした。

 

もしかしたら気付いていて、何も言わず黙っていたのかもしれませんが、おそらくは知らないままだったと思います。

 

もし知ったら絶対に怒ったか、怒らないとしても不機嫌になるのは目に見えていましたから、知らずに死んでいくのが正解だったと今でも思っています。

 

父は公務員で、ずっとまじめに働いて、専業主婦の母と、私と妹を育てて養ってくれました。

 

私などは大学はもちろん、海外留学までさせてもらい、その費用もすべて出してくれました。

 

決して父が望んだ道ではない、リスクのあるおよそ無謀な道でしたが、最初は猛反対していた父も、最後には納得してくれて、私に援助してくれました。

 

そのことは本当にありがたく、一生忘れられない恩です。

 

母は昔からずっと私の理解者で、私のやりたいように好きにしてよいと言ってくれ、何もかも受け入れてくれました。

 

父は母とは全く価値観の違う人でしたが、それでも定年まで働き、家族に囲まれて、92歳で倒れるまで、大きな病気もせずに、本人の希望通り自宅で過ごせたのですから、幸せな人生だったのではないかと思います。

 

私は父を羨ましく思います。

 

昔は父の価値観を受け入れられず、父には反抗していましたし、野心旺盛な若い頃は、父のような人生なんてまっぴらごめんだと思っていましたが、今になってみると、父は私の持っていないものを手に入れて生きてきました。

 

それは伴侶と子供という家族、そして定年まで勤めあげたという肩書?、達成感?それは私にはそれほどピンときませんが、やはり結婚して妻と生涯添い遂げ、2人の子宝に恵まれ、2人の孫もいるというのは正直羨ましいです。

 

無いものねだりというのもありますが、ただしその分、父は大きな資産を蓄えることはできませんでした。

 

父はもともとものすごいケチで、いわば倹約家で、全く贅沢もせずお金を貯めるのが好きで、株式投資もやってきましたが、どうもうまくいかなかったようで、資産を増やすことができなかったようです。

 

母が専業主婦でしたから、公務員の給料ではそれほど余裕はなく、私と妹にはお金をかけ、特に私は本当にたくさん経済的援助をしてもらったので、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。

 

もう父に恩返しするには時すでに遅しですが、その分母には、これからできるだけ良くしてあげようと思います。

 

私は父のような堅実な人生は送れませんでしたが、唯一父ができなかったこと、資産を築くことに成功しました。

 

まあ大した額ではありませんが、それでも仕事を52歳で辞めながらも、こうしてまとまった額の資産を築くことができたのは、ひとえに父譲りの倹約体質と、そしてインデックス投資という投資法で成功したから、そして一番大きいのがずっと独身だったからでしょう。

 

やはり子供にはお金がかかります。そして結婚しても共働きなら2馬力ですが、奥さんが専業主婦では、いくら働いて稼いでも、なかなか貯金をする余裕はないでしょう。

 

何が幸せかわかりませんし、私も好きで結婚しなかったわけでもありませんが、気がついたら独身のままで結婚は出来ず、そして仕事も首になり、独身セミリタイアとなってしまいました。

 

とにかく私は父の背中を見ながらも、父とは違う人生を生きていくことになりました。

 

両親を見送ったら、あとは私は天涯孤独となります。

 

寂しいですが、一人で生きていくしかありません。

 

両親には本当に感謝の気持ちしかありません。

 

父には心からお礼を言いたいです。

 

あとは苦しむことなく、安らかに旅立っていくのを見届けるだけです。

 

ありがとう、そしてお疲れ様。いよいよ最後の別れの時が近づいてきました。

 

それではまた。