こんにちは、まるぞーです。
しばらくブログの更新が止まっていましたが、理由は父が亡くなったからです。
父の容体は変わらずだと書いていましたが、16日木曜日に病院から電話があり、まずは主治医の先生から、容体は相変わらずで変わりはないけれど、今日から血便が出るようになり、消化器、おそらくは胃か十二指腸から出血しているとの説明がありました。
もう体力的に胃カメラの検査などできる状態ではなく、回復は望めないので覚悟してくださいとのことでした。
私があとどれくらい持ちますかと尋ねると、数日かもしれないし、長く持つかもしれず、全く分からないと言われました。
それで私はとりあえずまだ数日、少なくとも今週中は大丈夫だろうと思い、電話を切って、自宅でくつろいでいたら、今度はその1時間後くらいにまた病院から電話があり、今度は看護師からでした。
私が何だろうと思って聞くと、心拍が不規則になり、血圧も下がってきたのですぐに病院へ来て欲しいとのことでした。
私はまさかと思いましたが、とにかくまずは実家に戻り母親を連れて病院に行こうと思い、まずは母親と妹に電話をしました。
準備をしてちょうど車に乗り込んだ時に、再び看護師から連絡があり、呼吸が苦しそうなので早く来てくださいと言われましたが、私は今出発したところですが、1時間以上はかかると言いましたが、とにかくできるだけ早く来てくださいと言われました。
実家について、母を乗せ病院に向かいました。
妹もほぼ同時に着いていました。
病棟へ行きナースステーションに着いて、看護師に尋ねると、父はすでに息を引き取っていました。
最後の電話があった30分後には息を引き取ったそうです。
残念ながら私たちは間に合いませんでしたが、これではどう急いでも、どのみち無理でした。
聞けば今朝から血便が出だし、最後は大量に出血し、シーツが血便だらけで真っ赤になり、私たちが着いて父の顔を見たときには、すでに看護師さんがきれいに片づけてくれた後でしたが、まだ臭いますよと言われました。
父は顔を触るとまだ暖かく、ただ気持ちよさそうに眠っていて、まだ生きているかのようでした。
母は泣き崩れ、最期に間に合わなかったことを父に向って、「お父さんごめんね。」と何度も何度も繰り返し謝っていましたが、私は見ているのが辛くてたまりませんでした。
息を引き取る前に間に合ったとしても、どのみちもう父は入院してからずっと意識はなく、何もわからないので同じことだろうとは思いましたが、それでも今朝から容体が悪化したのだったら、どうしてもっと早くに知らせてくれなかったのだろうと、ちょっと看護師に対してやるせない気持ちになりました。
それと主治医の先生もまだ早くても数日、長くなるかもしれないと言っていたのは、いったいいつ診察したのでしょうか。
たぶんその日の事だろうと思いますので、おそらくは容体が急変し、本当にあっという間に、ものの数時間で逝ってしまったのだと思います。
家族にとっては死に目に会えず悔いが残ったかもしれませんが、私はそれでよかったと思います。
唇が切れていて、どうも前歯で強く唇を嚙んで出血したようなので、おそらく最後は苦しかったのだと思いますが、それでも入院前から入院後も、ずっとすやすやと眠っていて、全く痛がったり、苦しがることもなかったので、幸せな死に方だったと思います。
結局救急車で運ばれてから、わずか9日間の入院で天に召されましたが、幸せな最期だったと思います。
ほとんど父の希望通り、病院にも施設にも入ることなく、ずっと自宅で母に看病され、救急車に乗った時は呼んでも応答もなく、果たして父が病院に行ったことを、自分で分かっているのかどうかもわかりませんし、ほとんど自宅で亡くなったようなものです。
父は自分のやりたいように何でもやり、好きなように生き、死ぬまで父の思い通りになった幸運な人でした。
92歳で大往生を遂げるまで、大きな病気にもならず、入院も手術もなく、痛がったり苦しがったりすることもなく、自宅で静かに過ごせたんですから、こんなに恵まれたことはないと思います。
しかしさすがにいざ亡くなると、私も動揺しました。一応覚悟はできていたとはいえ、まだもう少し先だと思っていましたので、あまりに急で、心の準備ができていませんでした。
それは母も同じだったようで、かなり動揺してショックな様子でした。
病院で父の死亡を聞いてから、母は耳が急に遠くなってしまい、私やほかの人が話しかけても、何も聞こえなくなってしまい、耳元で大きな声で話しかけないと分からないようになってしまいました。
昨日まではまだ聞こえていたのに、本当に急に聞こえなくなりました。
とにかく亡くなるとすぐに、色々な手続きをしなければなりません。
病院の方は慣れたものなので、粛々と作業を進めていきます。私はどうしたらいいか何もわからぬまま、ただ病院の指示に従い、まずは葬儀屋に連絡を取り、親族関係に電話をし、後は母がちゃんと準備をしてきていたので、それに従って、それから葬儀屋が到着すると、すぐに遺体は棺に納められ、これから先の段取りの説明がありました。
私はただ聞くだけで、その日の夜は遺体は実家に運ばれることとなりました。
それから通夜と葬儀の日程が決まり、その後はどんどんとやるべきことをやっていくだけで、とにかく忙しく、悲しみに浸る暇もありませんでした。
私は人生初の喪主を務めることとなり、親戚のおじさんが、こうしろああしろと指示を出してくるので、ただそれに従って電話したり動くのみでした。
木曜に亡くなってから、金曜は実家に遺体を安置して、土曜が通夜、日曜が葬儀と、粛々と事は進んでいき、結果私は木曜から今日の午後までずっと実家で、自宅のマンションに帰ってくることはできませんでした。
当然パソコンもなく、ネット環境もないので、ブログの更新もできませんでしたし、たとえできたとしても、精神的にも物理的にも、そんなことをする余裕はとてもありませんでした。
しかし大変ながらも粛々と、時間と共に事は運び、無事通夜、告別式を終え、やっと落ち着いたところです。
まさに怒涛の4日間でした。
精神的にも肉体的にも本当に疲れました。
無事終わり、どっと疲れが出てきました。
夜も熟睡できていませんでした。
葬儀に関わることは、いろいろと書くこともありますが、今日はこのくらいにしておきます。
まだお寺に行ったり、諸手続きが色々とあります。
今日年金の手続きのために年金事務所に電話しましたが、それ1つだけでもいろいろな書類が必要で、区役所に戸籍謄本などを取りに行き、本当に大変です。
とにかく疲れました。
ちなみに家族葬で、父の遺言通り、とにかく質素にということでしたが、親戚のおじさんが、花も出せ、果物も出せなどといろいろ言ってきて、結果まだ見積もりですが、葬儀代が130万円、お寺に収めるお金が40万円だそうです。
お寺はもう確定ですが、葬儀屋の方はまた事前に説明があり、それで値段が確定して振り込みだそうです。
マイクロバスを追加で頼んだり、食事も1つ追加したりしたので、間違いなく見積もりより高くなることでしょう、いったいいくらになるか金額を聞くのが怖いです。
それにしてもどうして葬式にこんなにお金をかけないといけないのでしょうか。本当にもったいないと思います。
一瞬で消えてしまうお金です。家族葬なのに、単なる見栄でしょうか。よくわかりませんが、結局は葬儀屋のやり口にまんまと乗せられたような気がします。
葬儀屋は商売ですから少しでも多く儲けたいでしょうが、全くとんでもない金額です。
ただただ疲れ果てて、お金もなくなって、何にもいいことありません。父の思い出に浸る暇さえありません。
悲しみがこみあげてくるのは、いろいろな手続きが全部完了した、もっと後かもしれません。
それではまた。